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忍者を巡る甲賀弾丸旅

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1月17日(日)6名で、忍者のように素早く移動する、甲賀弾丸旅に参加しました。旅の目的は、忍者の痕跡を見出して、忍術を垣間見ることです。

紫香楽京の甲賀寺跡

紫香楽京の甲賀寺跡

紫香楽京の甲賀寺跡

甲賀寺跡

742年(天平14年)に、奈良の大仏の前に、大仏がつくりはじめられた、甲賀寺跡と比定される場所です。数百の寺院の礎石が並んでいます。

紫香楽京跡

紫香楽京跡

今は、水田が広がっているだけの、紫香楽宮跡です。宮町、内裏野などの地名が残されています。紫香楽宮は745年(天平17年)に都と定められますが、すぐに奈良に都が戻されました。

藤田園

藤田園

藤田園

藤田園

藤田園で一服して、美味しい朝宮茶をいただきます。

岩谷山仙禅寺

岩谷山仙禅寺

岩谷山仙禅寺の磨崖仏

岩谷山仙禅寺の磨崖仏

岩と鬱蒼とした木々に囲まれた、懸崖造りの岩谷山仙禅寺です。巨石が並んでいます。寺の足元には磨崖仏が彫られています。忍者の修行の場所と考えられます。

朝宮茶の茶畑

朝宮茶の茶畑

一面に広がる朝宮の茶畑の景観です。お茶は健康の元。忍者が育てたのでは。

多羅尾代官跡

多羅尾代官陣屋跡

旗本の多羅尾氏が代官として陣屋を構えた跡です。近江国だけでなく、山城国などの幕府領も、ここを拠点に管理していました。本能寺の変のときに、徳川家康が伊賀越で逃げるのを助けた多羅尾氏も、忍者との関わりが深いと考えられます。

多羅尾磨崖仏

多羅尾磨崖仏

多羅尾磨崖仏

多羅尾磨崖仏

多羅尾の磨崖仏です。忍者が集った場所では。

鶏鳴の滝

鶏鳴の滝

鶏鳴の滝の入り口

鶏鳴の滝の入り口

鶏鳴の滝は、地元の人々によって整備されています。水量が少ない冬場は、花崗岩の鉄さびの色が目立ちます。当然、忍者の荒行の場だったのでしょうね。

岩尾山息障寺の磨崖仏の岩

岩尾山息障寺の磨崖仏の岩

岩尾山息障寺の磨崖仏

岩尾山息障寺の磨崖仏

息障寺から磨崖仏まで急な石段を登る

磨崖仏まで急な石段を登る

息障寺から、急な石段を登りつめると、磨崖仏があり、伊賀の盆地が眺められます。山野を自在に駆け巡る、忍者の修行の場です。

甲賀もち工房

甲賀もち工房

たいやき

たいやき

甲賀もち工房では、米粉を使ったたい焼きをいただきました。もち米にふさわしいたい焼きの技術を、磨いておられます。中身もそうですが、鯛の端のミミの部分をいただいても、とても美味しいです。

くすり学習館

くすり学習館

くすり学習館

くすり学習館

甲賀忍者は、薬の知識に長けていました。くすり学習館では、薬草を使った製薬などの歴史が展示されています。

油日神社

油日神社

油日神社

油日神社

油日神社は、他の神社には見受けられないコの字型の回廊があります。油日は、白洲正子の隠れ里ですね。忍者が特別な会合や行事のために使ったのでしょうか。

甲賀は、地形が複雑に入り組んでおり、水田や茶畑、集落、山が幾重にも重なっています。隠れ里は、人里から離れた平家の落人が暮らすような山奥ではなく、開けた平野でもなく、一見ありふれた里地里山の少し奥まった場所にあります。普通の人の生活をしながら、時として隠密に動く忍者の痕跡を、辿ることができました。

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